ゆるく、こだわりたい。 ーその6 D.I.YとB.G.Mー

(今回は少々、私小説風に…)1982年、高一の夏休み。美術部に所属していた僕は、同級生で同じ部員のサワイ、イズミ、オジイ(当時のあだ名)、の3人と、部室に集合した。
僕の通っていた学校は、無人駅で列車を降りて5分の場所にある田舎の公立高校であった。部室はというと、戦前に作られた木造校舎とは対照的に、無味乾燥なコンクリートブロックの建物である。夏休みに4人が集まった目的は、こっそりと部室を改造するためだ。

高一の部活であれば、先輩の手前、勝手なまねは許されないのが常識である。しかし、美術部には一つ上の2年生部員が在籍しておらず、3年生も2名しかいないという恵まれた環境であった。そのため、夏にもなると先輩が部室に顔を出すことはほとんどなくなり、部活動でありがちな上下関係におびえることもなく、1年のうちから部室は使いたい放題という特権を手に入れることになる。そのうち部員でもない同級生も頻繁に立ち寄るようになり、美術部はますますフリーダムな空気の濃度が増していったのであった。それをいいことに、部室を自分たちの好みに変えてしまおうと、意気投合したのもごく自然な流れかもしれない。夏休み前から改造計画を立てては、ニヤニヤしていた4人であった。

田舎とはいえ、夏はやっぱり暑いので、さっそく朝から作業に取りかかる。
作業その1。壁をペンキで明るい色にする。本来の部室の壁は、むきだしのコンクリートブロックではあまりにも味気ない。そこで部屋の印象を明るくするために、水色のペンキで塗りかえることにする。もちろん学校にも、顧問の先生にも、先輩にも無許可であったが、そこは後から何とかなるさ、というゆるい環境に思い上がった自信が4人を駆り立てていた。

作業その2。絨毯を敷く。これは簡単。購入した絨毯、というよりは安価なカーペットを、部屋のサイズに合わせて端をカットし終了。いわゆるドキン(土足禁止)の部室に生まれ変わる。

作業その3。電源のない部室で、音楽を聴けるようにする。これは難問。しかし、僕らには電気関係に強いサワイがいた。彼は、部室の天井に1つだけある照明の配線にコンセントのついたコードを勝手につなげて、電源を確保してしまう。冷静に考えれば、火災を招く恐れがあるのでとても危険なことをしているが、当時は「音楽欲」がリスクに勝ってしまい、誰も冷静な判断すらできなかった(決して真似しないでください)。
そこに、廃棄されていたレコードプレーヤーやアンプ、スピーカーなどを寄せ集めて壁際に堂々と設置。数ある部室の中で、(電源はないのに)唯一、音楽が流れる部屋に変身したのである。それからは、学校の休み時間や放課後に、4人で大好きなレコードを持ち寄っては音楽の情報交換する毎日。音楽が絶えない美術部室には、ますます関係ない人たちが出入りするようになっていった。当時の僕らのお気に入りのレコードは、こんな感じだろうか。今なお優れたクリエイティブだと思う。

レコードは、音楽とデザイン性の高いジャケットデザインとがパッケージされたプロダクトだ。当時好きだったレコードジャケットは、今見てもデザインが色あせない。その頃に買ったレコードはジャケットがくたびれているものも多いので、最近は身近なアート作品として状態の良いモノを見つけたら再購入するようにしている。音楽を聴くだけではなく、ときにはポスターのかわりに部屋にアクセントを添えてみたり。そういえば、かつては「ジャケ買い」もよくやった。それなりに失敗も多くて、デザインがどれほど優れていても中身が伴わないものはほとんど手放してしまった。当たり前だが、音楽もジャケットデザインも両方を好きなモノだけしか、手元には残っていない。

そういえば、リプラグ製品も、機能性とデザイン性の両立を目指している。どちらか一方だけでは、製品として寿命は短いのではないだろうか。どなたにも気持ち良く、そして長く使っていただけるスタンダードな製品を、これからも世の中に送り続けていけるブランドでありたい、と思う。

さて、改装をほどこした美術部の部室であるが、大音量でレコードをかけていたことが災いし、あっという間に不正改造が学校サイドにばれてしまった。4人が激しく叱られたのは言うまでもない。